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競馬日記。主に3連単フォーメーション

絵本作家のぶみのこと

「絵本作家のぶみが炎上している。」春先だったかヤマダ先生がtwitterでつぶやいてソレを知った、どうやら歌のオニィさんが唄っている歌の歌詞が問題なのだとか、そしてその歌の作詞が「絵本作家のぶみ」なのだと。

 

あぁのぶみ懐かしいなぁ、僕の人生で一切意味を持たない2年、記憶すら曖昧で虚ろな2年、紫色の濃い霧の立罩める森の中に佇んでいた僕の19歳20歳の記憶、その濃い霧を振り払うと徐々に辺りは仄明るく木々の輪郭を映し出す。僕はその曖昧で虚であった2年間の事を少しだけ思い出す。

 

因みに僕は「絵本作家のぶみ」の事は知らない、19歳の春僕は高校を卒業して高田馬場にある「日本児童教育専門学校絵本創作専攻科」なるフザケた学校に通い始めた、登校初日に教室のドアを開け見た景色に僕は絶望した、女しかいないのだ!然も50人位いるだろうか?まるで僕は修羅の縁に立ちその修羅に正に身を投げ捨てられるか弱き人間と云った心境だ、絶望に震えながらそ修羅を見回すと一筋の希望が眼に映る、男だ!男がいるぞ、ソレは正に天井からスルリと垂れた一本の蜘蛛の糸、僕は何も考えずスグにその糸にしがみついた。

 

教室の出入り口の近くの一番後ろの席に男が2人並んで座っていた、僕はその横にさも当たり前のように座り2人を一瞥した。一人はひょろ長く金髪、香水の付けすぎだろう尋常じゃない臭いが僕の嗅覚を支配する、臭いタダただ臭い!その臭いは僕の嗅覚だけでは飽き足らず脳髄までゴンゴンと叩いてくる。僕はその爆臭のためほんの瞬間気絶していたであろう、そして白目をむいている僕にもう一人の男が話しかけてきた「名前は?」あぁ名前だ!オレの名前!脳髄までももう支配されていた僕は朦朧と「ケイイチッス」と答えた、するとそのもう一人の男は僕に名刺を差し出し言った「オレのぶみ、よろしくケーイチ」そして金髪香水も続いて「ワ・アゥオムィリ・ヤァッスース」と言った。何と彼は外国人なのだ!成る程僕の脳髄をゴンゴンと叩くこの臭いもあのPPヒモのような質感の金髪もユニバーサルスタンダードなのか!そう納得しているとのぶみが「コイツ青森出身でスゲー訛ってねェ!」とゲラゲラ笑いながら言った、のぶみが僕に渡してきた名刺には「絵本作家 斉藤信実」そう書かれていた。兎に角「僕」と「のぶみ」と「青森」男は3人、言わばこの修羅を生き抜いていく戦友!そして楽しい(ハズもない)学校生活が始まった。

 

 

 

もう一度言うが僕は「絵本作家のぶみ」の事は知らない。と、云うのは僕が知っているのは「絵本作家のぶみ」ではなく「絵本作家を目指している斉藤信実」だからだ、のぶみは僕の一つ上の年齢で僕が入学する一年前に「日本児童教育専門学校」の保育士になれると云うフザケてない学科に入学したらしい、そしてそこで絵本を作る授業があり同じクラスの「よーちゃん」と云う女の子と合作で絵本を作り、出来が良かったのでどっかの町の絵本のコンペに応募したら入選し「俺は絵本作家になる!」と、同じ学校の絵本科に編入したのだと教えてくれた。そして「今年のうちに100冊絵本を作る、そしたらそれ持って片っ端から出版社に行くんだ。」と鞄から既に数十冊はあるであろう絵本の束を僕に見せてくれた。絵本の原稿は白いA4程のコピー用紙の様な紙を半分に折り本の形になっている、絵本の内容は「何とかマン」とか「何とかクン」と言ったキャラクターが出てくるナンセンス漫画の様な絵本だった、例えば「れいぞうこクン」は2段型の冷蔵庫に手足が付いていて冷凍庫冷蔵庫両扉に顔が付いているカワイイヤツだった。兎に角のぶみは何でも「クンチャンマン」にしてそれを絵本にしていく、そして新作が出来ると「スゲー面白いの出来た!」とみんなに見せて回っていた。そしてのぶみはもの凄い勢いで絵本を生産していった。

 

入学して間もなく僕はのぶみに連れられて保育士になる学科の元々のぶみが通っていたクラスに行った、そこで紹介されたのは多分ゲイの「キャッシーちゃん」厳つい風体の「ヤンキー君」そして「よーちゃん」だった。よーちゃんは小さくていつもニコニコしていて可愛らしい女性だった、のぶみは「俺はグレていてよーちゃんみたいな子には怖がられるから髪を黒くして、それでよーちゃんが絵本が好きだって言ったから僕も絵本が好きだって嘘ついて、でも嘘ってばれない様に図書館で絵本を毎日読んでそれで一緒に絵本を作ったんだ!」と、興奮気味に教えてくれた。ヤンキー君もよーちゃんの事を狙っているようだったけどよーちゃんはあまり相手にしていなかったようだった。よーちゃんはのぶみが作ってきた絵本を読むのが好で、何よりのぶみが絵本作家になる事を願い支えていたように思う、そしてのぶみはよーちゃんに喜んでもらう事をバイタリティとして絵本を量産していたのではないだろうか?僕はただ漠然と「絵本作家になる。」と、言う気持ちだけで何も持っていなかった、特別な才能も、作品を作る情熱も残念ながら持ち合わせていなかった。しかしのぶみは違った、何に対しても目標を持っていた、例えば絵本を100冊作るだとか今年中に絵本を出版することだとか一つ一つ目標を書き出していた、そしてその目標にアプローチして行くプロセスも綿密に練られていたように思う。

 

秋口になると僕はもう学校に殆ど行かなくなっていた、青森クンも東京の町が刺激的だったのか夜遊びまわっているらしく学校には全く来なくなっていた。のぶみはもう既に絵本を出版し絵本作家になっておりもう学校に来る理由もなかったハズだが学校には来ていた、そして出版した絵本のアンケートをみんなに配り「のぶみの絵本が面白かった。」と書いて出版に送ってくれと頼んでいた、僕がたまに学校に行くと「ケーイチ、昼寿司食い行こう!」と誘ってもらったり「今度スーツが必要になったからアルマーニでスーツ買った!」と、かなり羽振りが良さそうだった。ある日「ケーイチ学校終わったらカラオケ行こう!」と、のぶみに誘われてキャッシーちゃんとヤンキー君、よーちゃん、のぶみと僕でカラオケに行った、僕が岡林信康の「私たちの望むものは」を熱唱しているとキャッシーちゃんが悲鳴をあげた、ヤンキー君がキャッシーちゃんを無理矢理脱がし犯そうとしておりキャッシーちゃんは悲鳴をあげながら泣いていた。のぶみも僕も笑ってそれを見ていた、よーちゃんはきっと「コイツらアホだな。」って思っていたと思う。

 

年が開けると僕は全く学校に行かなくなっていた、そしてそのまま僕は学校を辞めた。その後僕はヒモをやったりしてから今度は「東京綜合写真専門学校」と云うこれまたフザケた学校の夜学に通っていた、昼に学費を稼ぎ夜学校に行くといった結構ハードな生活に加えキチガイの女と付き合いだしてしまいそのキチガイ女にケータイ電話を2度ほどブチ折られてしまった為電話帳のデータを失い友達との接点が一切遮断されてしまっていた。そんな折にのぶみから連絡が来た「家を買ったから遊びにおいでよ。」といった内容だった、僕の実家から結構近くののぶみの新居には黄色いフィアット500が止まっていた、よーちゃんと結婚をし子供が一人と猫が一匹いた、大きい戸建ての家だった。僕は当時使っていた4×5のカメラと三脚を担いで行くとのぶみはカメラに興味を示し「カコイイ!撮って!」と、無邪気に言った。

当時のぶみは「さくらももこ」と仲が良く「富士山」と云うさくらももこが作っていた雑誌に写真入りで出ていたりしていた、ビックコミックスピリッツに連載したのもさくらももこのおかげだと言っていた。他にもNHK教育でアニメがあったり絵本も売れているらしく新築の家も「俺ローン組めないから一括で買った!」と、教えてくれた、順風満帆そのものだろ。と思っている僕にのぶみは教えてくれた「100万部売れる絵本を作る!」「映画化される絵本を作る!」あぁ、のぶみ変わっていないなぁ。そう思った、あの19の頃の僕の横に座り修羅の中で「絵本を100冊作る!」と語ったのぶみそのまんまだ、きっと今も目標を書き出しそれに至る為の戦略も細かく設定されているのだろう、それに今も側によーちゃんがいる。僕はと言えばまたフザケた学校に行き今度は「写真家になる!」と与太を飛ばし、挙句の果てにはキチガイ女にケータイを折られ、包丁を持って追いかけられ、下階の住人には心配され宗教の入信を勧められる始末だ。のぶみはその後もいろいろな事を語っていたが当時の僕は少し辟易としてしまった。

 

「じゃぁまたね。」帰り際僕はカブに跨り言った。「またね!」のぶみとよーちゃんも子を抱っこしながら言った、そしてその「またね」の約束は今はまだ果たされていない。

 

 

 

初めまして、突然ごめんなさい。

「あの、学生時代ののぶみさんってどんな方だったか教えて頂けるでしょうか?

高校生の時は池袋でチーマーか暴走族の総長だったそうですが…。」

先日突然こんな事をTwitter で聞かれた。返信しようとtwitterで下書きをしていたら長文になってしまった為ここに長々と駄文を書いたのだが最後に気付いてしまった、「オレのぶみの高校時代知らねーし!」

チーマーか暴走族の総長じゃないと思います(多分)池袋で仲間と集まってヤンチャしてた位じゃないっすかね(多分)カラーギャングとか流行ってたからそんな類ではないでしょうか(多分)多分そんな感じっす(多分)