JRAには金を預けているだけ!

競馬日記。主に3連単フォーメーション

暗室

2001年僕は22歳だった。

 

22歳といえばストレートで大学に入学すればもう4年生になり就職先も決めて学生最後の夏を「キャッホーい!」とでも叫びながら謳歌している頃であろうか?高卒で就職をしていれば社会人も4年目になり仕事にプライベートに充実した生活を送っている頃であろうか?現に高校を中退し高圧洗浄屋になった「ユータ」は既に子ができ結婚をしていた、皆の眼前にはそれぞれ輝かしい未来が待っており皆の眼差しはその眩しいばかりの未来を見つめ爛々としているのだろう。

 

そう、僕以外は…

 

その頃僕はといえば西川口にある青木町公園の近くで「ケロチャン」の家に転がり込み自堕落な生活を送っていた。「ケロチャン」は僕より歳が一つ上でギョロリとした離れ目にでかい口そしていつもりんご病の子供の様に頬を赤く染め西川口にある斎藤記念病院と云う病院でレントゲン技師として働いている立派な女性だった。

 

それから更に一年ほど前の春先の事バイト先の先輩だった「モグタン」と云う女が

「男に捨てられたからその男の家から私の私物を回収する大作戦を手伝って欲しい。」

と、頼んできた事があった、僕はその頼みを快諾すると土曜の朝に当時乗っていたカワサキエストレアと云う単車でモグタンからあらかじめ聞いていた男の家だと云う南浦和の住所へと向かった、指定された住所には細い路地と路地の交差点に接して古い長細い木造二階建てのアパートが立っておりその建物の長手側には僕の背丈ほどのブロック積みの塀が春の心地良い陽の光に眩しく照らされている、この世界の全ての色を混ぜ合わせると反射率18%のグレイになりそれをニュートラルグレイと呼ぶのだそうだが正に僕の眼前にたつその美しいブロック塀はニュートラルグレイの反射率で輝いている、僕はその眠たく耀くブロック塀の脇へ単車を止めヘルメットを脱ぐと同時に周辺の異常に気付いたのだった

 

「んんんー♪んんんー♪んんんーんんー🎶ギャハハハ‼︎ギャハー‼︎」

 

どっかから気狂いの女が季節外れのジングル・ベルの鼻歌をスゲーテンションで歌っているのが聞こえた、眠たいほど朗かな春の町に一抹の不安が走る。男の家だと聞いていたアパートの一階の入り口に一番近い角部屋の扉が開け放たれており気狂いの鼻歌はどうやらその部屋の中から聞こえてくるようだった、僕は既に多少の後悔を感じながらその開け放たれた扉から部屋の中を覗くと玄関に接した台所にある小さな冷蔵庫の中を漁り萎びたレタスをツマミにワインを煽っているモグタンの姿が僕の目に映る、そして想像した通り気狂いのジングル・ベルは彼女から発せられているのを確認するのと僕の多少の後悔は大きな絶望へと変わったのだった。

 

モグタンは玄関に立ちつくす僕を見つけると

「おせーよ!おせー!」と、叫びながら僕に何か赤い布を投げつけてきた

「それやる!」と、僕に投げつけてきたその布は赤い生地に小さい白い花のパターン生地の中々程度が良さそうなYシャツでモグタン曰く去年のクリスマスに男にプレゼントした物だという事だった

「これ貰って帰るべか」

気狂い付き合っていてもしょうがないと、そう思いながらそのシャツを拾っていると奥の部屋から女性が出てきた、ギョロリとした離れ目にでかい口……微妙な訛りは福島の南相馬の訛りだというその女性を僕はその瞬間のうちに「ケロチャン」と、命名した。

結局モグタンは酩酊状態になるまで飲み続けた挙句台所でひっくり返ってしまった、仕方がないのでケロちゃんと僕でモグタンの私物であろう物を片っ端からゴミ袋に詰め込んで外に放り投げる作業を繰り返していると辺りは夕方になっていた、依然モグタンは台所の床に大の字でひっくり返っておりもはや生きているのか死んでいるのかも分からない状態だったのだがケロチャンが「風邪ひくよ」と、言いながら毛布をかけていたので多分生きていたのだろう、僕もモグタンの顔に萎びたレタスを乗っけるとケロチャンに「もう帰ろうよ、家まで送る」と、言いモグタンをアパートに残して二人で表へ出た。

美しく輝いていたニュートラルグレーのブロック塀はいつのまにかアパートの影に包まれ冷たく重たい質感を持って佇んでいた、僕はその脇に止めておいた単車からヘルメットを二つ取ると一つをケロチャンに渡し西川口にあると云うケロチャンの家へと向かい単車を走らせた、途中で「少し寒い。」と言うケロチャンの首にモグタンから投げつけられた赤いYシャツを巻き僕たちは夕暮れの産業道路を南下していく、「バイク気持ちイイ!私も免許取ろうかな。」寒さに震えながらケロチャンはそう言って笑ていた。

 

「家まで送る。」と、言ってケロチャンを家に送った日から一年以上僕はケロチャンの家に居すわっていた、それはケロチャンが「もう帰りなよ。」って言わなかった事が一番の原因だったと思う。その間にケロチャンは二回の引越しを行った、一回目は僕がケロチャンの家に転がりこんですぐの事で僕が飯を作りながら「この台所狭いね。」と、言ったのが発端だった、その翌日ケロチャンは仕事から帰ってくると「引っ越し決めてきたから!」と、僕に言ってきたのだった。どうやらレントゲン技師の仕事には待機というものがあり例えば夜中に交通事故などで急患が病院に搬入されると待機番のレントゲン技師は病院から呼び出されてレントゲンを撮りに行かなくてはならない、従ってレントゲン技師は病院の近くに住めよ、と病院に言われておりその代わりに引越しの費用やら家賃の大半は病院が面倒見てくれると云ったシステムになっているんだそうで、「だから今度は台所の広い家に引っ越すからね!」と、ケロチャンは僕にそう説明をし言ってきたのだった。最初に引っ越した先は広いダイニングキッチンのある洒落たマンションだったのだのがどうやらケロチャンは上の階の住人ともめたらしく半年もしないうちに青木町公園の近くのアパートへと二回目の引越しを行った、アパートは一階が大家さんの家になっていて二階に2DKの部屋が二部屋ある作りになっており道を挟んで向かいには並木四丁目公園と云う広い広場のある公園がありとにかく日当たりが良かった、隣の部屋には小さい子供のいる若い夫婦が住んでいるいかにも若いファミリータイプと云った風情のアパートだった。

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 2001年晩夏の朝僕はそのアパートの窓から外を眺めていた。

開け放った窓から吹き込む風が小さな花柄のレースのカーテンを音も立てずに揺らめかせている、隣の部屋からだろう小さな子供と母親の笑い声が聞こえてくる、窓の外には会社へ向かうサラリーマンだろうか?スーツを着て自転車を漕ぐ男性の姿が目に映る。その吹き込む心地の良い風に吹かれその風に乗って漂う小さな笑い声を聞き、自転車を漕ぎ恐らく会社へと働きに行く男の人を眺めていると僕はとてつもなく巨大なそれでいてまったく実態の掴めないぼんやりとした不安に襲われた。あのサラリーマンが会社に行き仕事をしている間に僕は何をするのだろうか?隣の部屋で小さく笑う子供が大人になる頃僕はなにをしているだろうか?このままずっとケロチャンに甘え自堕落な生活を続ける訳にはいかないんだろう。

 

「そうだ、写真撮ろう。」

 

 絵に才能がないと気付いていた僕は写真ならフイルム入れてシャッター切れば写るし簡単だべ!と、安易な気持ちでそう思いつきケロチャンのノートパソコンを使い写真の学校を検索した【東京綜合写真専門学校】すぐにでてきたそのリンクをクリックすると僕は学校の住所を控えるや否や願書をもらいに電車に乗り学校へ向かった、ラッシュが終わった車内は丁度座れない程度に空いおり僕は扉の前に立ち手すりに掴まり窓越しに流れていく外の景色を眺めながら学校に入ったら学校の近くで部屋を借りよう、それより腹が減ったから先ず飯にしよう、などと考えながら電車に揺られていた。渋谷駅で当時まだ地上2階にあった東横線のホームから桜木町行きの電車に乗り換え多摩川を越え二駅ほど行くと電車は学校のある日吉駅に到着した、駅から降ると僕は街へ挨拶をしながら飯屋を探す街は美しくなんとなく優しく見えた「これからヨロシク!」僕はそう心の中で呟きながら汚い中華屋で昼飯を済ませ学校で願書を貰うと踵を返し電車に乗り込んだ、電車は朝来た道をなぞるようにケロチャンの部屋へと引き返す、ガラリとした車内には残夏の陽が窓枠の形で落ちており僕はシートに座りながらその窓枠の形で落ちている陽だまりの中を木々やビルの影が走っていくのをボーッと眺めていた、そうしているうちに僕の中にあった実態のないぼんやりとした不安はいつのまにか消え去っていたのだった。

 

部屋に戻った僕は願書を書きながら金の事を考えていた、引越しの費用、入学金、学費…実態のないぼんやりとした不安ははっきりとした実態のある不安へと入れ替わっていた、僕は細々と続けていたバイトで貯めた金とこれから貯まるであろう金で初期費用は賄えると思っていたのだがその見通しは全く甘かった、それは「暗室機材を揃えて部屋に暗室をつくる事。」と、別紙で挟まっていたプリントに記載されていた暗室機材代の約30万円と云う金が全くの想定外だったからだ。

「来年から写真の学校に通うことにした。」

仕事から帰ったケロチャンと晩飯を食いながらそう切り出した、夜学に通い昼は働く事、機材を揃えて暗室をつくる事を伝えるとケロチャンは、「じゃぁもっと広い所に引っ越した方がイイね、私もカメラ買って写真撮ろう。」と、愉しそうにそう云うので僕は学校の近くで一人暮らしをする事、を言い出せなくなってしまった。

 

それから僕は細々と続けていたバイトの他に空いている日で同級生のユータが働いている会社の現場があればバイトに行くようにし暗室代を捻出しようとしていた。その日も「雑居ビルの汚水槽を洗うから手伝って欲しい。」と、言われて日曜日の朝5時から歌舞伎町にあるビルの地下で汚水槽を洗っていた、現場は9時過ぎに終わりそのまま帰ってイイよと云われた僕は朝の歌舞伎町に一人立ち尽くしていると、これから一日自由だ!と、思いなんとなく嬉しくなったが金にあまり自由ではない事を思うと悲しくなった。

「そうだ馬券買おう。」

ビルから出てきたホストが酔っ払いの女に殴られている様子を眺めながらそう思いついた僕はコンビニでスポーツ新聞を買うと近くの喫茶店に入りモーニングを頼むとスポーツ新聞を広げた【マンハッタンカフェ】一面にデカデカと書かれていた新聞は菊花賞マンハッタンカフェだと云う事を教えてくれた、僕はマンハッタンカフェを軸に6頭ピックアップしソレを馬連で買うことにし新宿駅南口にあるウインズに向かった、馬券を購入しようとマークシートを記入し券売機の前に立つと【千円以上百円単位】僕の目に呪文のような漢字の羅列が飛び込む、どうした事かと警備員に聞くと新宿では千円からしか馬券が買えないらしく五百円で買おうとしていた僕は後楽園か渋谷に行けばイイよと云う事だった。一瞬渋谷に行くか迷ったが朝が早かった為眠たい僕は買い目を3点に絞り3000円分の馬券を買ってケロチャンの家へ帰りビールを呷るとそのまま眠ってしまった。

 

目が覚めると陽はどっぷりとくれていた、僕はケロチャンからパソコンを借り菊花賞の結果を確認した

馬連2-10¥45000位】

僕はすぐさま財布から馬券を取り出し確認する【2-10¥1000】僕のはっきりとした実態のある不安は一瞬にして吹き飛んで行った、約45万円の払い戻し!暗室の機材が買える!ケロチャンにクリスマスと誕生日のプレゼントも買える、僕はパソコンの光がボウっと光る薄暗い部屋で馬券を片手に小躍りをしていた(と思う)。

 

3月の末僕はユータの運転するキャラバンに乗って春光眩しい多摩川を渡っていた、日吉に部屋を借りた僕はユータに頼み二人で引越しをした、引越しといっても荷物はワンボックス1台に布団と少しの衣類をまとめた程度で後は引越してから色々揃えるつもりだった。荷物を下ろしユータと別れた僕は辺りを散策しようと表に出た、雪柳の花が風に揺れその風がどこからか沈丁花の匂いを連れてきた、近くを流れる矢上川の土手をあてもなく歩く、白モクレンの花は咲き乱れ辺りは噎せ返るような春だった。

夕方になりガランとした部屋に戻ると僕は部屋に電気がない事に気付いた、仕方がないので僕はユニットバスとキッチンの電気をつけ布団にくるまり窓越しに外を眺めていた、明日ケロチャンの部屋に単車を取りに行ったら二人で電気屋に行こう、そんな事を考えながら僕はそのまま眠ってしまった。

 

…今年の菊花賞は戸崎のせいで盛大に外した、そして菊花賞の度に思うのはあの新宿のウインズで迷い10番を消していたら?と云う事、タラレバで物を考えてもしょうがないのだがもしもあの菊花賞が外れていたら僕はケロチャンに甘え西川口に暗室を作りそこから学校へ通っていただろう、そして僕はケロチャンに「才能あるから辞めないで、私が面倒見るから。」とか言われ未だにケロチャンと暮らし写真を撮っていたかもしれない。人生とはなんとも珍奇なものだ、競馬の結果如何で如何様にも変わってしまう、あの時の菊花賞が当たった未来と今とどちらが良かったか?なんてことは永遠に分からないことだ、今年の菊花賞が当たった未来と今と?それは当たった方が良かったに決まっている。