JRAには金を預けているだけ!

競馬日記。主に3連単フォーメーション

コスモ星丸

今年も夏休みになり僕は某区の学校の改修工事をやっている、夏休みは学校の改修をする絶好のチャンスと云う訳で何処の学校も大小あれ大体工事を行うのだ、実際の所工期自体は11月末まであるのだが学校機能を停止したまま二学期を迎える訳にはいかない、なのでどうしても夏休み中に詰めて工事を行う事になるので学校の夏休みと云うのは特に仕事が忙しくなる、ここ三年程は7月8月に休みを取ったことはない程に忙しい。しかも今年は5校3園の工事をやっている為アホのような工程で仕事をやるハメになってしまったのだった。

 

ある日曜日の夕方に学校の正門の辺りで仕事をしていると

「オイ!オイ!」

と、正門の前でがなる声が聞こえた、どうした事かとそっちに向かうと理科室の骨格標本みたいなガリガリの小さい爺さんが立っており

「オイ!何時だと思ってんだ!ヤメろ!」

と、えらい剣幕で言ってきた、僕はメンドクセーなぁと思いながら

「今?18時ですかね、もう少しで終わるんでスンマセン。」

と、いつも「お前のスンマセンは心無いよなー。」と絶賛されているスンマセンを発すると骨格標本の爺さんは更に大きな声で

「なんだその口の利き方は!休みの日位静かにしてろって言ってんだ!いつまで我慢すればいいんだ!」

と、顔を真っ赤にして叫びながらその骨ばった肩を僕のミゾオチ辺りに当ててきた、僕は普段は大変大らかな質なのだがその時ばかりは日々の忙しさに負け理性を失い

「こっちだって好きで休みの日に仕事してんじゃねーよ!学校の生徒の為に働いてるんだろーが!あんた一人の為に学校の人たちに迷惑かけれねーだろ!嫌ならお前が引っ越せ!」

と、怒鳴りつけながら先程ぶつけて来た骨ばった肩の方に目をやった、爺さんは相当くたびれたTシャツを着ている、そしてそのTシャツには「EXPO’85」と書かれておりその下にはコスモ星丸がいた。コスモ星丸つぶらな瞳が僕を見つめている、「アァ、コスモ星丸。何故そんな所に居るんだい?僕の所へおいでよ!」僕は心の中でそう呟いた、そして今すぐこの爺さんの頭をカチ割りコスモ星丸を救出したい衝動に駆られたのだが僕は分別のある大人だからやめておいた。

 

コスモ星丸は言わずと知れた「つくば万博」のイメージキャラクターだ、どこまで行っても焦点が合わなそうな知性を感じさせないつぶらな瞳、顔の周りに浮き輪の様なものを巻きその浮き輪の上から腕が生えているのだがその腕は自分で用も足せない程短い、そして頭の両サイドからアンテナの様なものが生えその下に星が飛んでいると云ったなんとも珍妙な出で立ちなのだが中々かわいい。そして僕はコスモ星丸に会うたびになんとも言えない郷愁の様な感情を胸に抱くのだった。

 

僕がコスモ星丸に始めて接したのは6歳の頃だったと思う、テレビで曼荼羅の様なコスモ星丸がクルクルと回っているCMが流れているのを僕少年は大変気に入り一緒にクルクルしていたのだった、そして最後に「つくば未来博にコスモ星丸に会いに来て~!」とオッサンの声でナレーションが入る、そうなると僕少年はもう直ぐにでもつくば未来博とやらに行きコスモ星丸に会いたい!と云う気持ちが抑えきれず母親につくば未来博に連れて行ってくれと嘆願したのだった。しかし僕少年には妹がおり然も当時かなり手のかかっていた妹と僕少年を連れてつくばまで行くのは大変しんどい、と母親は父親に頼み僕少年と父親二人でつくば未来博に行くよう提案をしたのであった。

 

2001年の正月に僕宛に僕少年から年賀状が届いた「くりはしけいいさ6さい」鏡文字でかなり汚く自分の名前だけが書いてあるそのハガキはコスモ星丸のプリントされた透明な封筒に入っていた。どうやら僕少年が父親とつくば未来博に行った時に21世紀に自分に宛てて書いた物らしくハガキの表には父親のこれまた汚い筆跡で住所が書かれていた。

実のところあれだけ連れて行け!と騒ぎ立て連れて行って貰ったつくば未来博の記憶は全くないのだった、当時の写真が数枚ありその写真の中で僕少年はにこやかに何かラジコンの様なモノを動かしているのだが、その写真を見てもそのにこやかな僕少年であろう人物は果たして自分自身なのか?全くの別人なのではないだろうか?と思う程に僕の記憶に残っていない、またそれと同様に僕の中にある父親との思い出と云うものは僕の人生の中で極めて希薄なのだ、ただひょっとした隙に僕の目に映るコスモ星丸を見る度僕は少しだけ父親の事を少し思い出す程度だ。

 

コスモ星丸のTシャツを着た骨格標本の爺さんに絡まれた後僕は少し父親の事を考えてみた、今の僕にはあの頃の父親と同じように7歳の息子がありそしてその息子には妹がある、今年の夏も僕は子達と一緒に出かける事は出来なかった、それでも子達は勝手に何処かへ遊びに行っているし放っておいてもどんどん成長するもんだ、僕は働き子達に迷惑かけない程度には給料を取って帰らなければならない。前職を辞めて今の仕事に転職したのも子達に金が必要だと云う部分が一番大きかった、もしも僕が独り身であったならきっと今も前職に留まっているに違いない。

僕の父親もきっと同じだろう、僕や僕の妹の為に一所懸命働いてくれていたのだと思うしそうだったと願いたい。

 

 

「僕がこの世にやって来た夜 

お袋は滅茶苦茶にうれしがり
親父はうろたえて質屋へ走り 

それから酒屋をたたき起こした 
 
その酒を飲み終わるや否や 

親父は一所懸命
ねじり鉢巻死ぬほど働いて 

死ぬほど働いてそのとおりくたばった 
 
くたばってからというもの 

今度はお袋が一所懸命
後家の歯軋り後家の歯軋り 

がんばってボクはご覧の通り
 
丙午のお袋は 

お袋は今年60歳
親父を参らせた昔の美少女は 

すごく太って元気が良いが
 
実は先だってボクにも娘が出来た 

女房は滅茶苦茶にうれしがり
ボクはうろたえて質屋へ走り 

それから酒屋をたたき起こしたのだ 
 
僕がこの世にやって来た夜

お袋は滅茶苦茶にうれしがり
親父はうろたえて質屋へ走り

それから酒屋をたたき起こした」

 

 

高田渡に「系図」と云う歌があるのだが正に僕は今ねじり鉢巻死ぬほど働いている所だ、そしていつか未来僕の子もうろたえて質屋に走るのだろうか?未来の事は分からない、ただ今は子との時間を大切にするように努めたいと思う。