ユートピアなんて存在しない!だけどそれは全ての人が目指すべき社会なのだ
「オニーチャン忙しい時間に来られると困るって言ったじゃない!」
御茶の水『博多天神』のオバちゃんが車いすのオニーチャンを怒鳴りつけていた、10人ほどの列は先頭に並ぶオニーチャンを追い抜きどんどん進んでいく。自分が先頭になったタイミングで手前の角の席が空くとオバちゃんは店のガラス戸を一枚開けカウンターの椅子をどかす、すると厨房にいたオジちゃんが車椅子を押し店の上り框を乗り越えるのを手伝うとオニーチャンはまるで御茶ノ水『博多天神』の備品の様に店のカウンターにすっぽりと収まった。
「うちもギリギリでやってんの!こんな時間に来られると困っちゃうってこの前も言ったじゃない!」
オバちゃんはかなりご立腹らしく、チャーシュー麺を頼んだオニーチャンを更にどなりつけていたが車椅子のオニーチャンはそんな事に気にも留めずチャーシュー麺を啜り始めていた。
3月18日から電車の運賃が「鉄道駅バリアフリー料金」と云う名目で上がった
○ 高齢者、障害者を含む全ての利用者が安全かつ円滑に鉄道施設を利用し得るよ う、都市部において利用者の薄く広い負担によりバリアフリー化を進める枠組み を構築するとともに、地方部において既存の支援措置を重点化することにより、 従来を大幅に上回るペースで全国の鉄道施設のバリアフリー化を加速化する。
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001397924.pdf
国土交通省第2次交通政策基本計画 (素案)第四章基本方針A目標③より抜粋
2年程前「伊是名夏子」とか云うトンチキなおばちゃんが炎上した際少し注目されたこの文言が今になって実行されたのだろう。インクルーシブな社会を目指すとか耳障りの良い言葉ばっかならべてたって鉄道会社も博多天神のオバちゃんと同じで
「うちもギリギリでやってんの!マイノリティの為にそんなお金かけれないの!」
ってのが本音なんだろう。
だとすれば、すました顔で「バリアフリー化は客から徴収した金でやっかうよ」って値上げしちゃう鉄道会社よりも、嫌な顔しながら「忙しい時間は来るな!」って怒鳴りながらでも車いすのオニーチャンに正規の値段でチャーシュー麺を提供している『博多天神』の方がよっぽど良心的な企業に思えてしまう。
健常者だって障碍者だって電車乗って仕事の行き来してる人はみんな疲れてギリギリなのにね、きれいごとバッカ並べて本音押し殺して鬱屈とした表情になっちゃてる。
「博多天神」のオバちゃんみたいに大声で本音ぶつけていった方がいいんじゃないの?
2003-2023
20年前の新宿もあんま変わんない、停滞してんだろーな。
新宿と同じように自分も停滞している。ただ見てくれだけが律儀に経過した時間分の変化を示しているだけで。
設備屋残酷物語
かなり忙しい。
なんて思っていたら今年もあと2か月ちょっとで終わるらしい…
10月は夜勤20日と日勤13日となかなかタイトな仕事量で体内時計も滅茶苦茶、夕方とてつもない眠気に襲われたり明け方眠れなかったり。
「ほかに業者さんいないんですか!!」って言いたくなったり、なんなかったり。
実際の問題として、職方の高齢化と人手不足はかなり深刻だと思う。
30歳の頃から現場に出入りする様になったのがその頃から10数年たった未だに自分は若手のままなのだ、それだけ若い人間が入ってこない(入ってもすぐ辞めてしまう)で昔からいる人間だけがそのまま年をとっていくだけのこんな業界に明るい未来はあるのだろうか?
もっと若い人たちにも魅力を感じてもらえるように、建築業界末端まで広く労働環境の改善が必要なんじゃないだろうか?
先日、区立保育園の園庭絡みの雨水管を改修する見積もりを提出したところ区役所から
「園の休みである日曜と祭日で作業を計画してくれ」
との指示だった。まぁ保育園と云う施設の特性上致し方ないのかもしれないが、『建設業の働き方改革』とやらを掲げ旗振り役になるべくはずの行政が、日祭日ありきで仕事をさせることを当たり前のように指定してくるマインドが無くならない限りは『建設業の働き方改革』なんてただのハリボテにしかならないんじゃないかな?
なんて事を考えながらもお上には抗えず
「はい!かしこまりました!よろこんで!」
なんて二つ返事で仕事を請けてしまう、末端建設業者のマインドにも大いに問題があるんだけど…
過剰サービスとデフレマインド、負のスパイラルに陥ったまま突き進む未来の貧困日本に愁いを抱きながら今日も僕はセコセコと働くのだった…
毎日かぁさんと鴨志田ひよ
西原理恵子の娘。
鴨志田ひよ。
https://norokoro.hatenablog.com/
漫画「毎日かあさん」の作中後半に口もきかなくなった、生意気な女と揶揄されていた「ピヨ美」側から見た「かあさん」西原理恵子の話。
私の事を書かないで!と言ってもおまんまのネタにされ、12歳の時に「ブスだから」と、無理矢理二重の整形手術を施させられ心を病んでしまったと云う彼女のリリカルな文章の中で一際目を引いたのは彼女の父親である「鴨志田穣」についての記述。
私のお父さんは、私のお母さんに出会わなければ、出会ったとしても直ぐに別れていれば、今もどこかで元気に、上記で記したような家庭をどこかで作っているのかもしれない。
でも、そしたらひよちゃんは産まれないんだよ、という反論が出てきそうだが、その可能性はない訳では無いのだ。
私の父親は未確定であることを、日々かみ締めている。それは遺伝子的な話で。
私、ひよちゃん、という存在は確実にどんな世界であろうと存在する。遺伝子的に誰が父親か、というのは私に関係はなく、私の言うお父さん、という人はたった1人であるのだ。
お父さん「鴨志田穣」の死因のひとつを「おかあさん」との結婚生活にあるのではないかと、そしてお父さんと遺伝子的に親子でないかもしれない(私の嫌いな人間が父親かもしれない)と勘ぐっているのは、おそらく彼女の中にそう思わせる何かがあるからなのだろう。もしかしたら、父母として身近にその両人と接してきた彼女にしかわからない何か決定的な事実を彼女は知っているのかもしれない。
これまで西原理恵子と鴨志田穣の物語はサイバラが描く漫画やエッセイの中でしか語られてこなかった訳だが、その二人の娘である(遺伝子的な事は別として)『鴨志田ひよ』の語る二人の物語がおどろおどろしい影を潜めているのならば、これまでサイバラが語ってきた二人の物語は全てフィクションであった、という事になるだろう。
この告発の様な娘のブログに対して、西原理恵子は静観の姿勢を貫いている。ほとぼりが冷めるまで知らんぷり作戦なのか?それとももう余生を全うに生きるだけの貯えがあるからこれからの作家としてのイメージが悪くなろうが知ったこっちゃないのだろうか?もし後者だとすれば困るのは西原理恵子の息子君なんじゃないな。なんとなく息子君は赤塚りえ子みたいなルートをたどるんじゃないかな?と思っている、そうでなくてもサイバラ漫画の権利なんかは殆ど息子が相続するのではないだろうか、息子君と西原理恵子の間で既にそんな約束が交わされているのかもしれないと邪推をすれば、兄貴も将来私のネタで食っていく人間になる、と気付いた妹は兄貴に対しても憎悪の感情を抱くようになった(元々不仲だったのかもしれないが)と云う安易なストーリーにも合点がいく。
中三の頃から娘(鴨志田ひよ)の面倒を見ているという、生島マリカのtwitterより
https://twitter.com/MaMaZ_marika/status/1532974172347179009?s=20&t=-IlfyiTXcWXBP_za30m1zQ
ここにある「決定的な事」という文言も気になるが…
西原理恵子から語られてきた娘や夫に対する物語は全てフィクションでありそのことをネタに漫画として描かれることは本意ではなかったと云うこと。そして未だに公にしていない決定的な何かかが存在していること。
まだ小さな人間だった「鴨志田ひよ」と云う人間を本人の承諾もなく漫画にして、少し大きくなった本人が嫌だと拒絶をしても構わずに出版を続けていた事が事実だとすれば、今すぐにでも「毎日かあさん」と、それに関わる全ての物は発売禁止にするべきだと思う。
子どもを傷つけること、それは未来を傷つけることだ。
傷けられてきた者の言葉は重い。
資本主義を崇拝する身勝手な大人達の事情によって一個人の人生を蹂躙して良いなんて話がまかり通る訳がないのだから。