JRAには金を預けているだけ!

競馬日記。主に3連単フォーメーション

2019年の夏の話

7月後半学校の夏休みが始まると息子は二週間ほど静岡の裾野に住んでいる僕の両親の元へ口減らしに出されていた。その両親から妻の元へ度々届くメールは毎日BBQだの花火だのバナナワニ園だのまるで一面のケシ畑のど真ん中に佇むアヘン中毒者の如く幸せハッピーな生活を送っている彼の様子を報告してくれていた。

8月に入り現場に空きが出た僕は一日休みをもらうとその前日の仕事が終わるとそのまま一路幸せの真っ只中にいる彼を現実世界へ引き戻す為裾野へと向かったのだった、代官町の入口から首都高に乗り3号線を経由し東名高速へ平日の夜間とあって快適なスピードで車を進めると僕は途中海老名のサービスエリアで休憩を取る事にした。車を降りるとムワッとした熱気が体にまとわりつき額や首筋にじんわりと汗が滲む、僕はここで軽く食事を取ろうかと考えていたのだが腹を満たし眠気に襲われる事を懸念し食事は諦めコーヒーと土産を買う為売店へ向かった、売店は何処かの大会からの帰りなのだろうか?山梨学院高校と書かれた黒い揃いのジャージを着た数十人の集団に占拠されており僕がその通路一面に散らばる黒いジャージ姿の分隊を避け縫うように売店の通路を歩きやっとの事で缶コーヒーがある冷蔵庫の陳列棚に辿り着くとそこに黒い揃いのジャージを着た一組の男女が楽しそうに何かを選んでいるのが眼に映った。

「タピオカ飲んだ事ある?」

女がきっとタピオカミルクティーであろう茶色い液体の入ったプラスチック製の容器を手に取り男に尋ねると、

「いや、ない。だってマズそうジャン」

男がニヤケヅラでそう答えている明らかに他の黒いジャージの分隊とは様子の違う正に二人の世界が萌芽し始めているといった男女の瑞々しいやり取りを眺めていると僕は軽い嫉妬心がフツフツとみぞおち辺りから湧き上がって来るのを感じた、確かに自分にもこういった瑞々しい萌芽の時代があったのかもしれない、しかし今は昔僕に繁っていた瑞々しい枝葉は今やすっかりと枯れ果てその湿度を失いカサカサになった一葉一葉のハラハラと落ちていく様をなす術もなく眺めている老木となってしまった、そしてその今まさに落ちようとしている枯葉の先に瑞々しく萌える若い木々が群生しているのが見える、僕がその若い木々の群生を嫉妬をもって覗いているように若い木々の群生もまた僕を、僕の老いぼれた枝にかろうじて存在する枯葉の落ちて行く瞬間を哀れみながら覗いているのだ。

 

缶コーヒーを買い再び車を走らせ裾野にある実家に着いたのは22時を少しまわった頃だったが息子は寝ずに僕が来るのを待っていたようで僕に会うや否やその幸せに満ちた桃色の唇を震わせ今日まであった幸福の日々を事細かく伝えてくれた、息子の話を聞きながら缶ビールを呷っていると尋常じゃない眠気に襲われたので未だ寝る気配のない息子を促し二人で和室の客間へ行き並べて敷いてあった布団へ潜り込むと僕は依然として続く息子の話に適当な相槌を打ちながらさっさと眠ってしまったのだった。

翌朝暇に飽かせ行ったゴルフの打ちっ放しから帰ったのは昼に少し足りない頃だった、

「ご先祖さまは馬に乗って来て牛に乗って帰るんだよね。」

息子はきっと今し方仕入れたその知識を伝えたくてウズウズしていたのだろう僕の顔を見ると得意顔でそう言い彼が今しがた作ったのであろう茄子の牛と胡瓜の馬を見てくれと仏間に僕を連れていった、その日は午前中に棚経があるとのことで母もまた坊さんが来るのが先か僕の帰りが先かとウズウズしていた様だった、仏間へと引っ張られた僕は仏壇に並んだ彼の作品を一瞥すると仏壇の上方の壁に並べて掛かっている祖父と祖母の写真を眺める、祖父は僕が2歳の頃に亡くなっているので僕は祖父に対する記憶が全く無いのだが法事などで親戚に会う度

「お前はアキラさん(祖父)に似ている、本家筋の顔だ。」

と、言われる度に柔かに微笑む古い祖父の遺影にそこはかとない懐かしさを覚えるのだった。

祖父は栃木県の氏家にある庄屋の長男だったらしい、「らしい」と云うのは祖父は祖母と結婚するにあたりそれを

「家柄が違い過ぎる!」

と、猛烈に反対され本家から勘当されると祖母の地元である裾野に移り二人で暮らし始めたと云う事なのだそうだ、つまり祖父と祖母は駆け落ちをしたと云う事だ。しかし昭和初期と云う時代に栃木で暮らしていた祖父と静岡で暮らしていた祖母はどうやって知り合ったのだろうか?然も家柄が違うと言われる位なら家同士の付き合いもなかったであろう男女がインターネットも無い時代に?そこにどんな物語が存在したのか今となってはもうわからないが祖父は確かに故郷と家を捨て祖母を選び静岡の裾野と云う土地にその根を下ろしたのだ、もしも祖父が祖母と一緒になる事を諦めていたら僕は存在していないだろう(変わりにもっと程度の良い人間が生まれていたかもしれないが)僕はそう云った偶然の様な必然の積み重なりの末に今こうして柔かに微笑む祖父の遺影の前に息子と共に立っているのだ。

結局棚経が終わったのは昼をだいぶ過ぎた頃だった、僕は家に帰るのが遅くなり途中渋滞にハマることを危惧し両親に

「昼飯を食べに行こう、そしてそのまま帰る。」

と、提案をするとそそくさと帰り支度を済ませ息子を助手席に乗せると沼津港へと車を走らせた。

うだる様な真夏の太陽が容赦なく世界を照らし車の車外温度計は外気温が38度だと僕に伝えている、港へ続く一本道は慢性的に渋滞をするらしくトロトロと歩みの様なスピードで目的地を目指す、僕は少し焦れながらその一本道の広い歩道へ目をやると白いワイシャツと黒いズボン黒いスカートを纏った学生であろう男女の一つの自転車の集団が珍走しているのが見えた、各々満面の笑顔を汗だくにしてはしゃいでいるその集団を眺めていると昨日の夜僕が海老名のサービスエリアで抱いたものに似た微かな嫉妬心が僕の中に芽生えてくるのを感じた。

確かにこう云った時代が僕自身にもあった、高校の陸上部だった時分ただひたすらに走りそして仲間たちと汗だくになり笑いあった日々はしかしながらはるか彼方もうそれは目には映らないほどの遠くへと行ってしまったのだ、そしてエントロピーが増大するという物理の法則が崩れない限り僕はそこへは戻れないしエントロピーの秩序を打ち破り僕が過去へ行けるようになったとしても僕はわざわざそこへ戻ろうとはしないだろう。僕は冷房を効かせた車を運転し暑そうな外界を眺め汗だくになり珍走する集団を「若いなぁ。」と思う程に老いてしまったのだ、しかしながら助手席で早く着かないかと不機嫌そうに座っている息子はどうだろうか?その不機嫌な眼差しの先には輝かしい未来が待ち構えている、彼は近い将来あの白いワイシャツの珍走する自転車の集団のように友人たちとはしゃいだり又は、ひとりの女性に対し淡い恋心を抱いたり失恋をしたりするのだろう、僕がもう失ってしまい二度と手に入れられないものを息子は全て持っている、僕は不機嫌そうに助手席に座る彼にさえ微かな嫉妬心を抱いているのだった。

沼津港へ着いた僕たちは適当な定食屋に入ると息子は3000円のマグロ尽くしなるものを注文し大トロの寿司を2貫と中トロを2貫食べ赤身を1貫食べたところでもういらないとほざいた、彼はそうやって食べ物の美味い所を食い終わると後は残すという大変罰当たりな性格なのだ。その後土産物屋を矢継ぎ早に物色し駐車場に戻ると両親と別れ沼津インターから家へと車を走らせる、こう云った別れのセレモニーで息子は常に両親に対しては気丈な振る舞いをして走り出した車の中でひっそりとおセンチな感情を吐露してきたのだが今回はそんな風もなく助手席に座るとスッと眠ってしまった、僕は少し意外に思ったのだがそんな彼の少しずつ成長していく姿を目の当たりにすると親としての喜びを感じたのだった。

僕は車のステレオを極力小さい音にして中村一義のアルバム「金字塔」を流しながら未だに高く青い空を眺め僕はふと数十年先のことを思った。いつか僕の息子にも子が出来てその子にも子ができる、そしてその僕の孫と曽孫が僕の遺影の前に立ち孫はそこはかとなく似ている僕の遺影に親近感を覚える、かもしれない。そん時果たして彼等の未来はどうなっているだろうか?少なくとも僕の子や子の子が幸せに暮らせる事を、そしてこの世界が安定して継続している事をただ願うばかりだ。

一時間ちょっと走り東京インターから首都高へ乗り継ぐ多摩川の橋に差し掛かった辺りで息子は起き出し

「ハラヘッタ、マダツカナイノ?」

と、ほざき出した。僕はマグロの寿司をちょちょっとつまんでもうイラネェをした事を思い出し少しカチンときたが今更あーだこーだ言っても仕方がないので

「アト30分くらいで着くから、家ついたらペペロンチーノ作ってやる。」

と言い彼をなだめると少し車のスピードをあげ帰路を急ぐ、僕の祖父が望んだ未来はどんな未来かはわからないが「じいちゃん、僕はそこそこには暮らせてます。」今度祖父の遺影の前に行った時にはそう報告しようと思う。